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タイトル:「寝子」(「ねこ」と読むそうな)
朝、歌を口ずさみながら学校へ行く支度をする一人の少女がいる。名は、「寝子」。鬼太郎の下宿先に一緒に住んでいるようだ。仲良く登校する二人。しかし、その背後には怪しい人影が…。
授業中、その怪しい人影を見た鬼太郎は、休み時間を告げるベルとともに、その人影を追いかけ女子便所へ。鍵のかかった戸を無理やり明けると、そこにいたのは寝子。「レディーの使用中に!」と怒鳴られ、憧れの女性から平手打ちを食らう鬼太郎。
昼時、先ほどの出来事に凹みながら、弁当を食う鬼太郎。その隣には、なぜか落ち着きのない寝子。その瞬間、寝子は鬼太郎の弁当の匂いを嗅ぐ否や、突如鬼太郎に襲い掛かる。寝子は、ネズミの匂いを嗅ぐと「猫娘」に変化するのだ。実は、鬼太郎の弁当は「ドブネズミ」。寝子はこれに反応したのだ。
元に戻り、なきながら素性を明かす寝子。女性に悩みを打ち明けられると黙っておれない性質(たち)の鬼太郎は、川原でじっくりと話を聞く鬼太郎。その時、また寝子が落ち着きを失い、変化した。今度は「ねずみ男」に反応したのだ。間一髪、川に飛び込み難を逃れるねずみ男。
途方にくれる寝子を元気気づけようと、鬼太郎は「トランプ重井」という人物の元に彼女を連れて行く。ついに、寝子のステージ・デビューが決まった。その様子をテレビで見ていたネズミ男の元へ、ついに怪しい人影が。なんと、鬼太郎ソックリの人物であったのだ。組んで、悪事をはたらこうとする二人。偽鬼太郎は、ステージで歌う寝子の眼前に、一匹のネズミを放った。寝子の様子がおかしい。しかし、歌うことに集中して我慢していたのだが、それも限界。聴衆の面前で、ついに猫娘に変化してしまった。一匹のネズミを追いかけ、会場を混乱の渦に陥れる、猫娘。
帰宅し、再び途方にくれる一同。席を外した鬼太郎と入れ替わりに、偽鬼太郎がやってきた。話があるといい、寝子を外に連れ出す偽鬼太郎。「寝子さんの傷ついた心を洗い流したい」という偽鬼太郎の真意を諮りかねる寝子。偽鬼太郎は「あなたは異形のものだ」とけしかけ、寝子を追い詰める。挙句の果てに、「あなたを猫だとあざ笑うもののいない場所へ旅立つのです」と。偽鬼太郎の言う事をようやく理解した寝子。だが、躊躇している。寝子が家にいないことに気づいた本物の鬼太郎は、居場所を突き止め駆けつける。だが、偽鬼太郎は寝子の腕を強引につかみ、橋から川へまっさかさまに落ちていった。後を追う鬼太郎。
間一髪、鬼太郎は川から引きあげられ一命を取り留めるが、寝子は溺れ死んでしまった。そこに、偽鬼太郎の姿はない。彼は一体、何者なのか?
つづく。
・今日の名(迷)言
①「オヤジの弁当にはセンスがないからなぁ…」(by鬼太郎)
→ドブネズミ弁当にセンスもくそもあるか。
②ぼく、女性に悩みを打ち明けられると黙っておれない性質でして」(by鬼太郎)
→やけに男前ではないか。
③ネズミ男を逃した猫娘に一言
「大きな獲物を逃しましたねぇ」(by鬼太郎)
→お前は、いったいどっちの味方なんだ。しかも、そんなに冷静に振舞う場面でもあるまい。
④自殺を躊躇している寝子に一言
「遺書を書けばいいんですよ」(by偽鬼太郎)
→ここまでくるともはや子供向けアニメとは言いがたい。
あぁ、私には文学的センスが著しく欠如している。読者諸氏には、読みづらいであろうことをお詫び申し上げる。
しかし、これを読んでこの「墓場鬼太郎」なるアニメが、既存の「ゲゲゲの鬼太郎」から、いかにかけ離れたキャラクターを持つものであるか、お分かりいただけたと思う。
RECRUIT(リクルート)の放映する、"リクナビ"と称する就職活動に関した雑誌のCM。出演は、高樹千佳子アナであるが、これがまた面白い。超まじめ顔で、しかも標準語で、関西弁で書かれたニュース原稿を読むのである。
この面白さは、標準語と関西弁を両方理解できる人間にしかわかるまい。関西弁をしゃべる人々は気持ち悪いだろうし、標準語をしゃべる人々からすれば「え…」と思うであろう。
ご覧になった方、是非ともご意見をいただきたい。
私がみる数少ないTVのひとつに、NHKのニュースと23時前後の民放各社による報道番組(群)がある。
・滝川クリステルが、密かに"a demain"って言ってる、フ○テレビのニュースJapan
・筑紫哲也の毒舌が冴えるT○SのNews23
・長寿報道番組の後継、日○テレビのNews ZERO
みるといっても、そんなに深く見るわけではない。何故かというと、これらの番組は"報道番組"ではない気がするからである。特に、News ZERO。これはひどい。ご覧になった方は分かるだろうが、以前の今日の出来事という番組えらい違いだ。News ZEROでは、毎回呼ぶゲストのみならずメインキャスターの村尾氏までもが、伝えた様々なニュースに対して自分の意見を述べ、さらにゲストに意見を求めるのだ。ちょっと待て。これじゃあまるで、14時台のワイドショー状態ではないか。ご覧になった方はお分かりになると思うが、凄まじい意見の応酬である。そもそも、ニュースにキャスターの意見なんて必要なのか? 事実だけを伝えればいいと思うのだが…。こんなことをしているから、事実が湾曲して伝えられ、視聴者に変な認識がインプットされる。視聴者は、伝えられた事実から自分なりの意見を持てばよい。出演者の井戸端会議など、ワイドショーに任せておけばよいのである。
・まとめ―私の意見としては、報道番組に「意見表明」は必要ない。どうしても放送したければ、事実だけを述べた上で、番組に別枠(コーナー)を設けそこですればよい。事実を一番マトモに伝えているのは、NHKだと思う(但し、日教組や共産党関係など一部取り上げない分野も存在する)。
読者の方々には、毎日ぐちぐち申し訳ない
だったね、今日の「のだめカンタービレ」。
初回を見逃したので、DVDがレンタルされるまで見ないつもりだったのだが、ついつい…。
■さて、中身について。
orchでコンバス回したり、管楽器でスタンドプレーしたり、吹奏楽みたいで笑えた(笑) 実際に、あんなオケがあったら驚きだけど、ある意味リラックスしているというか、心の中にはああいうことをする要素があっても良いんじゃないかと思ってしまった(確か2年くらい前に、ベルリンフィルのK.S.というクラリネッティストがスタンドプレーをしてたっけ…)。
で、千秋がその瞬間に言い放った言葉、「これで正当な評価は消えた」。「正当な評価」とは一体何か? 別に、TVの台詞に文句を付けているわけではないが、「正当な評価」とはコンクールとか雑誌批評の類の事を指すのだと、私は思っている。「評価」と「感想」っていうのは近いようで、実は乖離しているのではないかしら。 観客が口にするのは「評価」ではなく、「感想」であって、演奏会で求めるべきは、「評価」でなく「感想」ではないのか?(もっとも、このドラマは設定上、指揮者からの「評価」が必要だったのであろう[笑]) ちょっとした台詞から、いろいろ感じ考えてしまった…。
ベト7にしても、第九にしてもやっぱいいねぇ。やっぱりA-durっていうのは華やかさの中に寂しさがあるし、d-mollっていうのは深刻さの中に力強さがあると思う。
古典派万歳
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