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・若者コトバに腹がたつ
・「最近の歌は分からんなぁ」という
・最近のお笑い番組は面白くない
・ジャニーズが全部同じ顔に見える
・仕事を理由に家族から逃避する
全て当てはまる。やばい。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1190850&media_id=90
p.s.旅7はもう少しお待ち願いたい。
かく言う、私も時々そうなのだが…。
最近一番気になるのが、ドアの閉め忘れ。
忘れというか、放置。
「閉めろ」と書いてあっても誰も閉めない。
気づいていないのか、見て見ぬふりをしているのかは定かでないが…。
私は、すぐ後に人が続いているときは、開けた状態を保持するようにしている。
しかし、当の後に続く人は、扉を閉めようとしない。
誰のための親切だと思っているのか。やってもらって当然だと思っているのだろう。
これは私だけではなく、他の人同士のやり取りでも、間々見受けられる。
ま、気づいた人が直せば、片付ければよいのだが。
そりゃ、冗談でしょ。
「衆院選なんて出馬しない」という意思の表れに決まってるよな。
自民党の中でも賛否両論って…。
真剣に考えるほどの問題でもあるまいに。
「暗黙の了解」って言葉。
便利なのだが、使い方を誤るととんでもないことになる。
自分自身も含め、この言葉が「なあなあ」(馴れ合い)に限りなく近いニュアンスで用いられている事が多いと感じる今日この頃。
さて、ここで昨夜から今朝までの流れを確認しておきたい。
昨日は、松江ウインドのリハーサルが21:30に終了。だいぶ仕上がってきた!
それから大学に戻り、勉強。この時点で22時。
合奏練習室が、扉全開で鍵も放置されている事を後輩に指摘し、さらに勉強。
研究室を通りかかった後輩といろいろと話し込み、大学を出たのが23:30。ここででた「なあなあ」。
帰宅、0:01
就寝、0:30
起床、5:00
登校 6:50
さて、きょうも激しい日程が予想される。
9:00 大学発
10:00 高校にて授業
16:00 大学帰着
16:30 「教職パフォーマンス研究」の資料を頂く
17:00 練習
20:00 勉強
22:30 帰宅
まあ、予定通りになんていかないんでしょうが。
今日も死ぬ気で元気に頑張るぞ!
最近、いろいろな人と話していてそう思う。
もちろん、「好き」で勉強したり研究していることに間違いはない。
が、自分の専門を極めるために学ぶ際には、「できない」、「知らない」自分に遭遇する事が多々ある。
ただ単に私が「高プライド人」であることに問題があるのかもしれないが、遭遇したそんな自分を乗り越えるには、かなりのエネルギーがいると思う。
だから、勉強しているときは正直しんどいし、クラリネットの練習も「できる」ようになるまではかなりしんどい。
その結果、僅かかもしれないが、達成感を味わえたときには本当に嬉しいし、楽しい。
だから、学問とかいうものは、総じてしんどいしつらいものだと思う。
「楽しんで勉強」とか「楽しんで演奏」できるようになるまでには、まだまだ時間が必要なようだ。
皆さんはどのようにお考えだろうか?
先週(もう一週間になるが)、とても悲しく、辛い出来事があった。いまだに信じられない。どうして…。
つい先日、大学院の学内コンサートで本番を終えたばかりだったとか。私は、どうしても週末のやりくりがつかず、見送ってあげることができなかった。東京の学会でお会いした、彼の高校時代の先生も辛そうだった。
人を亡くした時の気分は、いつになっても(といってもまだ25歳だが)複雑なもの。毎日、苦しくて辛いことがたくさんあったとしても、いつかいいことがある。それを信じて毎日を精一杯過ごすのが、私のつとめだと思う。
命の大切さを思い知らされたこの一週間。自分を、そして人を大事にしよう。
ちょっと冷静になって考えてみる…、
"自分に正直に生きること"と"自らの自己中心性を肯定して生きる"ということは、似ているようで、実はま~ったく違うということを、今日、ある人と話しいていて感じた。ま、当たり前なんだけどね。で、"開き直り"っていうのは、決然としている側面もあれば、痛々しい側面もあるように思う。
悲劇のヒーローやヒロインっていうのは、傷ついている自分に酔っているだけで、外野から見ている者としては、あいた口がふさがらない。ま、本人なりに傷ついているのは確かなんだけど。ま、幸せな人なんだろうなぁ。同時に、哀れにも思えてくる。
自分が一体何をしたのか。よくよく考えて、反省していただきたい。私のためではなく、他の人のために。第一、最終的にどうしたいのかよく分からない。都合がよすぎる。こっちは承諾するだけで、拒否することは許されない。ま、"事後承諾"のようなものである。ま、ど~でもいいですよ♪
学生と社会人の違いは何か? 音楽を続けたいという大義名分の下に、逃げていたのではあるまいか? 音楽なんて、死ぬまで勉強だから、大学院進学に固執する理由があるのか? 今の自分の状況を省みて思うことである。音楽続ける手段は山ほどある。私の母校は教育大だし、もちろん教員として生徒に音楽を伝える教える方法がある。演奏家として、聴衆に音楽を届けるという方法もある。楽器関係の企業に就職して、音楽を勉強したり趣味としたりする人のお手伝いをするという方法もある。もちろんほかにも。しかし、どれにも共通しているのが「責任」があるということだ。教員にしても演奏家にしても会社員としても、需要に対して応える必要があるのである。そのなかで、自分が責任を持ってやり遂げれることが必要な道を選ぶべきだ。よく考えなくては…。これからの見通し、現実性etc...
回り道をすることはよくないことなのだろうか? もちろん、回り道をしていない人に比べたら、金は余計にかかるわけだし、親や周囲の人に迷惑をかけ、なかなか安心させることも出来ない。といって、中途半端にしては、先々そのことを後悔するだろう(自分の性格上)。自分が後悔しないために、回り道をしたというのは恥ずべきことなのだろうか? 私自身は分からない。周囲が評価することだから。いい意味で割り切ることが必要なのだろう。その上で、まだ勉強するのか社会人として世に出るのか選択しなくてはならない。自分が得たいものは、どこで得ることが出来るのか? ゴールはあるのか? 何をゴールとするのか?
しかし、あのホールはいつ吹いても不思議なホールだ。リハーサルのときはとってもよく響く。お風呂で吹いているかのようだ。しかし、本番はかなりの客入りだったので、リハーサルとはぜんぜん様子が違い、かなり戸惑う。その中で、コンディションを整え、普段やリハーサルのときと同じような精神状態で演奏するか。本番は一回しかないわけで、いかにアクシデントを少なくするか。まぁ、アクシデントというものは起こるべくして起こるわけで、リスクをいかに減らすか。ミスをしたり、アクシデントを起こすまいと考えると余計にアクシデントを起こす確率を上げてしまうので、ポジティヴに解決しよう。テクニック的なことを考える必要の無いくらいまで、表現に集中するとか。表現することに集中するためにテクニック的な問題を解決するとか。あ、これは多分、大昔(高校時代)に先生に言われたことだ。「音楽を考えたらテクニックを、テクニックを考えたら音楽を」 この繰り返しである。昔、分からなかったことは時を経ると分かるようになるものなのか。まぁ、出来た瞬間がわかった瞬間なわけであって。
ところで、表現したいことは伝わっていたのだろうか。なんでもそうだけど、何を表現したいのか、何を主張したいのかが、聞く人々に伝わらなければ意味が無い。特にschumannは。いろいろな角度から曲を眺めないと見えてこない。本番を録音しなかったことが悔やまれる。
次に演奏する機会があれば、より深く、より自然に、きちんと「楽音」を使って「曲」らしく聞こえるように演奏したい。
ところで、schumannの曲をそれらしく演奏するということはどういうことなのだろう。これは、最近私が頭を悩ませている「曲のスタイル」ということに関係しているかもしれない。schumannらしく聴かせるためには、それなりの「語法」みたいなのがあるのだろうが、それは、誰かから教わることで解決するのだろうか。いや、ちがう。教わっても自分が何かを感じて納得しなければ意味が無い。これは"オーソドックス"と呼ばれる演奏を聴いてみて、体で覚えるしかないのではないか。ううっ、意外(?)に大変かも。楽譜にもいろいろと手掛かりがあると思う。スラー、アーティキュレーション、フレージング。試行錯誤を繰り返して、その人なりに見つければいいのではないか。
あぁ、長ったらしく書いたわりに、何一つ解決に至っていない気が…。フレーズを、言葉を、スラーを完結させよう。と思ってみることにする。出来ているつもりで、録音を聞くとあまりに出来ていない。
最後に、いつもながらすばらしいピアノに感謝。どうもありがとう! あなたにはお世話になりっぱなしです。聴きに来てくださった方、上手だったでしょ??(ピアノが) この曲は、クラリネットがオマケなので、ピアノが大変なのだが、あるときは心地よくピアノに乗せてもらい、あるときは支えてくれました。またよろしくね! そして、明日もschumann頑張って(笑)
話が逸れた…。要するに、私はバカ正直で不器用な人間なのである。何が言いたいのか、分かる人には、分かるよね?(最近、私と話をした方は) 私は、感情を文字にすることが苦手なので、いくら賢明な読者でも、今日の日記の意味はまったくお分かりにならないかもしれない。少なくとも、自らを卑下することが目的ではない。実際のところ、困っているのか嬉しいのか…。
ん~、また皆様に話を聞いていただきたいものだ。
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