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今日は、私のパートナーがする日。初台まで迎えに行った。
どうやら、バラバラにして徹底的に治療してもらったらしい。その甲斐あってか、入院前とは全然別人!
って、楽器の話ね。ここからは、クラリネット関係の方にしか分からない話であろう。
■治療内容…クラリネットのオーバーホール
①分解掃除
②ゴアテックス・タンポをすべてスキン・タンポに交換(私の使用しているR-13 vintageはゴアテックスが標準装備)
→吹奏感が変わる。個人的には、ゴアテックスはカーンっていう感じの音になる気がする。
③接合部コルクの全交換
→変質したまま放置すると、響きに影響が出るとのこと。
④管体表面&内径のオイル処理
→木管楽器の大敵、乾燥と水分による割れを防止。
⑤バネをすべて軽くしてもらう。
すばらしい。入院させてよかった。これで練習意欲が増すというものである。
今日は、体の使い方について「革命」的なことを教わった。
日ごろ、いかに不自然な姿勢で楽器を吹いているか、いかに不必要な力を入れているか少し分かった。収穫収穫!
少し、続けて通ってみよう。
(これを読んで、ピンとくるあなた! "通"である。)
世の中には、どうでもよいこととよくないことがある。人によって捉え方は様々なのだろうし、まぁ、それは当然なのだが…。
しかし、「人によって…」では済まされないことがある。場をわきまえているかどうか、つまり、空気が読めるかどうかである。これも、非常に難しい。「個人の考えや主観で…」と言われればそれまでだが、人のことを考えずに、ところかまわず好き放題に言葉を発する、これは困る。場に相応しいか、その場に本当にそれが必要なのか。
よく考え、場に応じた行動をとる。他の人の気持ちも考えて。
難しい。あぁ、難しい。
最近、日記が暗い…。小言ばかりだ。物事をポジティヴに捉えよう。悲観的にとると、自分まで悲観的になってしまう。
今日は、どんよりとした空模様。どうして曇り空を重いと感じるのだろうか。雲…それ自体は単なる水のかたまりなのに、雨雲なんて特に重いと感じてしまう。高高度にある、まさに「綿」のような薄い雲なんかは、見ていて気持ちがいい。しかし、低高度にある灰色の雨雲にはいまにも押しつぶされてしまいそうだ。
しかし、どんな雲の上も同じ「青」なのだ。国際線を飛ぶ飛行機の窓から見える空は、地上から見るそれとはまったく違って見える。昼間は「青」というより「紺色」だし、夜は「黒」ではなく「漆黒」だ。特に夜は、地上とは比べ物にならないほどの星が見え、流星がひっきりなしに空を横切っては遥かかなたに消えてゆく。まさに異空間だ。この感動は、見たものにしか分からないし、見る人によってもさまざまな印象を持つだろう。
また脈絡のない文章になったが、今日聴いたマーラーの"交響曲 第7番 「夜の歌」"。まさに、こんな「漆黒」の夜を感じる。ずっと聴いていると、吸い込まれそうな…。かと思うと、時々流星が曲中を横切る。マーラーは、一体どんな「夜」を想ったのか?
※マーラー:交響曲 第7番 「夜の歌」
指揮:クラウディオ・アバド
演奏:ベルリン・フィル
録音:2001年5月
ベルリン フィルハーモニー・ホールでのライブ録音
今週半ば、鳥取県米子市に住んでしいた松本京子さんが、政府によって拉致被害者と認定されたという報道がなされた。小泉前総理の頃に、北朝鮮が拉致を認めてからしばらく経つ。その間に、何人かの人は20年以上ぶりに帰国を果たした訳だが、他の拉致被害者や拉致された疑いのある人、そして松本さんの家族はその間、どのような思いだったのだろうか。
他の拉致被害者の家族からしてみれば、認定されたかどうかは大した問題ではない。自分の大切な家族がいなくなったことに変わりはないのである。被害者もその家族も年を重ねてゆくし、生きているうちに再会できるのだろうか? 拉致認定も大事なのだろうが、政府は全力でこの問題にあたってほしい。国益が国益がと言って、アメリカの戦争に加担しているが、国の将来を担う国民を他国に奪われることこそ、まさに国益に反することではないか?
しかし、こう考えると北朝鮮は本当にとんでもない国だ。人を連れ去るということを、国家ぐるみで画策する。金正日は、「部下が勝手に…」などと言っているらしいが、まったく信用ならない。国民の前に姿を現さない国家元首なんて、存在価値があるのか? 他国のみならず、自国民をもだまし続ける。こういう人間にこそ、社会的制裁が必要である。
確か5~6年前、私が高校で吹奏楽部の部長をしていた頃だったか。夏のコンクールの帰りに、休憩地のバスの中で、「北朝鮮に連れて行かれるから、海には近づかないように」と言い、皆の失笑を買った事があったが、よく考えてみれば恐ろしい話だ。米子という島根県の海岸のからすれば至近で拉致が起こったと考えると、他人事ではない。そもそも、福井や新潟よりも島根や鳥取の方が朝鮮半島には近いのだから…。
いま、NHKの「週刊こどもニュース」を見ながら日記を書いている。難しいニュースもわかりやすく解説しているので、かれこれ10年近くもこの番組見ている。大人にも好評らしい。小学生や中学生には、バラエティー番組なんかよりも、ずっと有意義な番組である。
昨日、タワーレコードで衝動買いしてしまったCD(注1)について。
私が最初に聴いたクラシックは、正確に覚えている範囲では、J.S.バッハの有名な"ポロネーズ"である。というか、母は当時流行っていた「胎教」なるものを実践し、生まれてからもしばらくはクラシックを聴かせていたらしい。ので、物心ついたときには、すでに何曲かは聴いていたと思うのだが、はっきりと覚えているのは、先ほどのバッハの他にショパンや何故かホルストなのである。
バッハは今も昔も大好きで、小学生の頃は家にあるレコードかカセットテープを聴きあさっていたものだった。当時、「○○大好き」という作曲家ごとにテーマ分けされたものがあったのだが、この中に収められていた"ブランデンブルグ協奏曲"と"シャコンヌ"、"トッカータとフーガ"、"ポロネーズとバディヌリ"は忘れられない。
特に、"ブランデンブルグ協奏曲"に関しては、このテープより感動した演奏に出会ったことがない。あの、颯爽としつつも優雅さに満ち溢れたメロディー。どこか寂しさを感じさせるトラヴェルソ。誰の演奏なのか、今となってはわからないが、ぜひとももう一度聴きたい録音である。
で、前置きが非常に長くなってしまったが、昨日買ったのは"トッカータとフーガ"である。この曲、確か十数年前に嘉門○夫というミュージシャンが、罰当たりな替え歌を発表したことで有名になった記憶がある…。最近、バッハから離れていたのだが、改めて聴いてみると感動的な曲である。まるで、光が天に昇ってゆくかのごとき荘厳さ。それとは逆に堅苦しくない一面も。感情の表出を目指した、まさにバロック音楽だなぁと感じる。高校生の頃に手に入れたオルガンのスコアを、思わず取り出し眺めてみる。とても複雑そうに聞こえるが、譜面はいたってシンプル。こういうのを名曲というのだろう。奥が深い。
あぁ、やはり"音楽の父"(注2)といわれるだけある。迷ったときは、バッハだ。神からの掲示だ。
(注1)…後日、HPにup予定。
(注2)…人によって見解は様々であろうが、日本の小学校では一般的にこのように教えられている。
昨日、とある友人が日記に「道徳」について書いていたのだが、今日、その道徳について強く思うことがあった。そのことについて…
昨日、今日と叔母が勤務する東京都のとある小学校で、学芸会が開かれた。子供のパワーには、いつもながら感心する。私は、手伝いとしてクラリネットを演奏しに、小学校にお邪魔したのだが、その会場で思ったこと。
今日は祝日だったので、保護者向けに学芸会が公開され、多くの保護者が小学校を訪れていたが、この保護者たちにとても腹が立った。体育館の入り口には「演技中の出入りはご遠慮ください」の文字。当然である。鑑賞しているほかの保護者の迷惑になるからだよね。その注意書きを知ってか知らずか、平気で出入りする大人たち…。わが子の活躍を見たいのはわかるが、その気持ちが本当ならもっとはやく会場に来ればよい。
さらには携帯電話で話しながら足音を立てて会場を出ていく保護者。もう怒りを通り越して、呆れかえってしまった。ちょっと待て! 周囲の迷惑というものを考えないのだろうか? まぁ、本人は思っていないからそんなことが出来るのだろうが、わが子演技に見入っている他の保護者からすれば、不快極まりないだろう。
そして究極なのが、演技の真っ最中に会場に入ってきて、座席の間を割ってまで座ろうとする若い夫婦。ここにいるのはあんたたちだけじゃない。なぜ休憩時間になるまで待てないのか? 本当に理解不能である。
こんな親たちに育てられた子供は、一体どうなってしまうのか? 「おはよう」と挨拶する校長先生に対して、挨拶を返さない子供。目を疑った。一体、家庭でどういう教育を受けているのか? 基本的生活習慣なんていうものは、学校で教えるものではない。家庭生活で身につけるものだ。それが身についていない子供、悪いのは子供ではなく、その親たちである。
この子達が成長して親になる…。悪循環だ。何とかならないのか…。日本の未来は暗い…。
その後、校長室で先生方と懇談。やはり、校長先生は教育委員会の手先だ…。ま、石原都政の下では仕方ないのか…。音楽の先生とは、情操教育についていろいろお話を聞いた。共通して思っていたのは、「情操教育を受ける素地がない」ということ。つまり、心の余裕がないのである。多感な年頃にある小学生には、日ごろから多くのことを感じ取ってほしい。些細なことでもよい。感動とは、その積み重ねなのである。なにも感じないのは、とても悲しいことだ。
そんな中でも、クラリネットに興味を持ってくれる男の子がいた。本物を見たのは今日が初めてだったらしいが、偶然にも先日テレビで見たらしい。何か感じ取ってくれたらいいな。 まぁ、先ずは私がなにか感じ取ってくれるような演奏をしたかどうかが最大の問題なのだが(笑) 今日、最大の喜び☆
本番終了後、初台にある楽器工房へ。1週間ほど入院である。そして、足は自動的にタワーレコードへと…。ここへいってはいけない。CDを買わなければならないという、催眠にかかってしまう。あぁ、ほしいCDがいっぱい…。結局、催眠状態から覚醒することはなく、気づけば、私の財布から野口君が一人、いなくなっていた。
人間は、心の弱い部分を「信仰心を興す」によって補う。「信ずるものは救われる」とはよく言ったものだ。宗教というのはこうして始まったのだろうが、その一方で、弱いものを排除する理由にも「宗教」を利用する。中東地域で起こっている惨劇は、このことに近いのではないだろうか。
人間とは勝手な生き物である。あるときは信念にすがり、あるときは信念を盾にする。自分に当てはまることはないだろうか…。胸に手を当てて考えてみることにしよう。
若者の価値観の変化・多様化という現象は、今の日本の縮図であるような気がする。
私がみる数少ないTVのひとつに、NHKのニュースと23時前後の民放各社による報道番組(群)がある。
・滝川クリステルが、密かに"a demain"って言ってる、フ○テレビのニュースJapan
・筑紫哲也の毒舌が冴えるT○SのNews23
・長寿報道番組の後継、日○テレビのNews ZERO
みるといっても、そんなに深く見るわけではない。何故かというと、これらの番組は"報道番組"ではない気がするからである。特に、News ZERO。これはひどい。ご覧になった方は分かるだろうが、以前の今日の出来事という番組えらい違いだ。News ZEROでは、毎回呼ぶゲストのみならずメインキャスターの村尾氏までもが、伝えた様々なニュースに対して自分の意見を述べ、さらにゲストに意見を求めるのだ。ちょっと待て。これじゃあまるで、14時台のワイドショー状態ではないか。ご覧になった方はお分かりになると思うが、凄まじい意見の応酬である。そもそも、ニュースにキャスターの意見なんて必要なのか? 事実だけを伝えればいいと思うのだが…。こんなことをしているから、事実が湾曲して伝えられ、視聴者に変な認識がインプットされる。視聴者は、伝えられた事実から自分なりの意見を持てばよい。出演者の井戸端会議など、ワイドショーに任せておけばよいのである。
・まとめ―私の意見としては、報道番組に「意見表明」は必要ない。どうしても放送したければ、事実だけを述べた上で、番組に別枠(コーナー)を設けそこですればよい。事実を一番マトモに伝えているのは、NHKだと思う(但し、日教組や共産党関係など一部取り上げない分野も存在する)。
読者の方々には、毎日ぐちぐち申し訳ない
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